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Posted by あしたさぬき.JP at

2008年03月03日

東谷城



うちの可愛い雛さまは、今朝ははよから遊び始め、もう大変。
まだ、夜泣きがないだけうれしいが。

東谷で公民館審議委員会の資料の準備と、各同好会の講座の案など話し合う。
明日、高齢者と女性教室の役員会があるので、その時具体的に日程など決めることができるだろう。

今夜は『007カジノ・ロワイヤル』を鑑賞。

む~。
なんか違和感が・・・。

まぁ、割り切ればなんとかなるが。
いやね、金髪碧眼ボンドがね。

秀一郎にとってボンドはショーン・コネリーが初恋組やからね。
ちなみに、初恋組には明智小五郎やってた天地茂や金田一耕介の古谷一行に石坂浩二なんかがいる。

これが、保育園児の初恋組です。

なんか旦那が53歳でもOK~っちゅうかんじやな。

さてさて、今夜は東谷公民館近くにある『東谷城』についてお話します。

土佐の長曽我部氏が讃岐に攻め込み、その軍勢が東谷へ攻め込んできたのが天正11年の秋と言われている。
当時、東谷は讃岐から阿波へ抜ける本街道であったと言われている。
そして、一万の集落に岩部対馬守祐信を城主とする東谷城があった。

東谷城は、東谷公民館の集落落合にかかる橋を渡り、骨川・一万方面に行くと、程なく旧額谷小学校跡地がある。

旧額谷小学校跡地に東谷城はあったと言われている。

対馬守は過去8騎の部下を率いて、香西伊賀守の配下にはいり幾度か戦功があったが、衆を頼む長曽我部の軍勢に抗いきれず城を枕に討ち死にしたと伝えられている。
その後、塩江町岩部に『香東大明神』として祭られ、その子孫は東谷において政所を勤めたと伝わっている。
この時、土佐の兵士が「これで一万だ!一万だ!一万の城を落としたぞ」が由来となり、この地区を一万と呼ぶようになったとか。

正式には骨川・一万は塩江町になる。
が、東谷の平尾八幡の氏子なので、なにかと東谷と係わり合いが深い。

  


Posted by 秀一郎 at 21:27Comments(2)昔話