2008年01月14日

満足いく人生

秀一郎は行けなかったが、高松市西町の『あかね』にて三番叟と五人男をやってきました。

満足いく人生

先日、取材に来ていたケーブルテレビの方に、KSBの方が取材に来ていました。

舞台が狭いのと、高さがあまり高くなかったので折角の舞台が使えませんでしたが、お客さんの目の前でやれたので、見ているほうは喜んでくれました。
出られなかった秀一郎はちょっと残念。

旦那は忙しかった。

親族の焼香が済んだと同時に式場をあとにして、舞台を済ませて焼き場に直行。
あやめは秀一郎の従兄弟んちの子どもと遊んだり、秀一郎の弟たちのおもちゃになっていた。

大きな体の伯母さんは足の骨がしっかりとしていた。
小さな器に収められ、伯母さんは家へと帰る。

人ではなく、仏さんとして。

秀一郎は初七日に読む『白骨の御文書』が好きだ。
まさに人の人生を伝えている。

何時死ぬかもわからない、昨日生きていた人も明日はわからない。
終焉を迎える時、極楽浄土へ導いてもらうために南無阿弥陀仏と唱えよう・・・と。

南無阿弥陀仏と唱えるのは如何でもいいが(宗教的になんでもいいという事)、先に書いた『何時迎えが来ても満足できる人生』を歩むための覚悟は出来る。

これは秀一郎の人生の基本的考えやな。

宗教は別になんでもいいんだな。
友人にはバリバリのクリスチャンの子もいるし、海外の友人は道教だったりイスラム教だったりする。
価値観ももちろん違うが、それがまた新鮮で楽しいのだ。

もちろん仏教でも種類がいろいろあるしね。

精一杯がんばって失敗するのも、いろんなことにチャレンジするのも、すべて自分が満足するため。
・・・自己満足・・・

でも、それが人生をもっと楽しくするんじゃないのかな。

供養も云わば『残された者の自己満足』やもんね。
ほんまに極楽があるのかわからんし、死んだらどうなるかわからない。
でも、こうしたら故人が成仏できるんじゃないかってことで、皆宗教にたよるんだろうな。

伯母さんの人生はどうだったかわからないが、少なくとも線香で極楽への道を作り、御鈴を鳴らし導いた秀一郎たちの自己満足で供養できたと思う。

でも、永遠の別れは切ないね。



同じカテゴリー(農村歌舞伎 祇園座)の記事画像
YouTubeはじめました~祇園座~
恒例
指導者は
冬に咲く桜~号泣・映画中村勘三郎~
清盛さまと
観音寺から
同じカテゴリー(農村歌舞伎 祇園座)の記事
 YouTubeはじめました~祇園座~ (2021-08-12 14:04)
 恒例 (2014-08-14 15:05)
 指導者は (2014-04-09 14:18)
 冬に咲く桜~号泣・映画中村勘三郎~ (2013-12-07 19:19)
 清盛さまと (2013-08-25 09:29)
 観音寺から (2013-07-20 12:51)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
満足いく人生
    コメント(0)