2008年01月12日

死に向かう道

朝ご飯を作っていたら、母上様から電話が・・・。
前々から調子が悪かった伯母さんが危篤やから、病院へ来てと。

あやめが生まれたときは、調子が悪いながらも酸素ボンベを引いて見舞いに来てくれた。
身内で女の子が秀一郎もあやめも初めてやったから、親子共々可愛がってもらった。
やから、あやめをもう一度会わせておきたかったし、あやめにも伯母さんを見せておきたかった。

慌ててあやめを起こし準備して、病院へ。

昨日まで普通にご飯を食べて、風呂に入っていたらしい。
風呂に入るのも心臓にかなりの負担がかかったようで、急に具合が悪くなり病院へ運ばれたらしい。

乳癌が肺と骨に転移してから7年が経つ。
手術に抗がん剤治療を経て、肺に水が溜まって心臓に負担がかかりかなり弱っていた。

秀一郎が行った時には、意識が無く呼吸も苦しそうだった。
それでもまだ落ち着いている方やったみたい。

苦しいから酸素の管をのけようとするのを防いだり、あやめと手を握り
『いたいのいたいのとんでけ』
と呪文をつぶやいたり。
汗を拭いてあげたり、声をかけたり・・・。

家族が、これまでの治療で苦しい思いをしてがんばってきたので、延命治療にしないで自然にまかせて欲しいと希望。
7年病気と闘ってきた体は、昔の面影もないほど痩せてしまい、人間の命の重さを感じずにはいられなかった。

お昼に少し落ち着いたので、お昼をとるついでにもともとも予定の、あやめのお雛様を見に行く。
正月の月に実家からお雛様を贈るのが慣わし。
昔は正月に届くように手配していたようだ。

死に向かう道
  
死に向かう道
たくさんあり過ぎるのと、落ち着いて見れないのと・・・。
気に入ったのはたくさんあるんだけど、秀一郎と旦那の好みはシックなんだよな。
明日、ばあちゃんと見に行ってみようと思う。

で、帰ってきたら訃報が。

16時20分。
永遠のお別れ。

悲しいとかそんなんじゃなく、あまりのあっけなさにびっくりする。
そして面変わりした姿に、本当に本人なのか疑問に思うところも・・・。

今夜は歌舞伎のお稽古もあるので、取り合えず19時を目指して早めにお稽古し始めることに。
三味線が必要なとこを先に済ませ、20時にはお悔やみに直行。

同じくらいにお寺さんがやってきてなむなむする。
綺麗にお化粧してくれて、すっきりとした顔やった。
病院で苦しそうにしていたことを考えると、楽になって良かったのかもと思える。

親戚中でお寺さんに生花や盛籠なんかの手配をして、22時に帰ってくる。

結果、秀一郎は14日の歌舞伎には出れなくなった。
鶴亀の舞を省くことにする。

最悪、旦那は焼香が済み次第出発することに。


人はみんな死ぬために道を歩いている。
死なない人はいない。
必ず死は万人に訪れる。

だからこそ悔いの無い毎日をすごさなければならない。

誰かとお別れするたび、秀一郎は肝に銘じて生きている。



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