2008年02月29日

馬地蔵

東谷公民館でほぼ一日過ごす。
朝、映画のプログラムを作成して、公民館では講座の詳しい日程を設定する。

で、運動場の立ち入り禁止の看板を新しくして、市の出前講座に環境プラザの講座の案内を検討する。

5月の交通安全教室は、県警の交通安全教育隊に依頼し、詳しい話を聞く。
講座の詳しい日程と内容が決まれば、とりあえずは楽ができる…はず。

なにせ、どこまで忙しく、どこまで大変か読めていないので怖いなぁ。
自分のできる限りの力は尽くすが、自分のキャパを越えることはできない。

その見極めが大事だろうなぁ。
無理でない程度に、自分の野望も達成しないとね。
人の為も大事やけど、自分の人生も一度きりやもんね。

楽しみながら仕事ができるようにしなきゃね。

今夜は地蔵さまの話。
東谷には道々に地蔵さまが祭られている。
峠を越えなければ東谷には入れないのだが、その四方の峠には必ず地蔵さまが祭られている。
それも、ぼちぼち紹介していきます。

秀一郎宅の屋号は二個ある。
地名である『入道』と本家からきている『遅越新屋』。

馬地蔵

その本家の家の下にある地蔵さまの話である。
奥側から寄地橋を渡り旧道を行くと、遅越坊主口に馬地蔵さまはある。
昔上の道から馬が転げ落ちて死んだ、その馬の霊を慰めるために建てられたそうだ。

馬地蔵

地蔵さまには『為馬ニ』(馬の為に…であろうと思われる)と刻まれている。

明治の中ごろには、東谷を大水が襲い2~3軒の家が流され、下谷の『そとばか』(石舟の川向こう)で水が越えたと言われている。
その時の大水で、この地蔵さまが流された。
水が引き、これを知った落合の人々が総出で探したが、行方がわからないままとなっていた。

それ以来、そこを早朝・深夜通ると苦しそうな女のうめき声が聞こえ、多くの人を困らせたそうだ。
これはきっと地蔵さまがどこかに埋まって苦しんでいるのだろうと、別に地蔵さまを造り元の位置へおき読経した。
それにより、苦しそうなうめき声は聞こえなくなったとか。

したがって、現在の地蔵さまは二代目なのだ。



同じカテゴリー(昔話)の記事画像
同級生も元気です
16歳の
エフエム高松の
今夜はクレメント
昭和21年の
引くタイミングと自覚
同じカテゴリー(昔話)の記事
 同級生も元気です (2011-11-11 23:25)
 16歳の (2011-11-02 23:54)
 エフエム高松の (2011-11-02 22:50)
 今夜はクレメント (2011-11-02 19:16)
 昭和21年の (2010-08-05 20:03)
 引くタイミングと自覚 (2010-02-16 15:52)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
馬地蔵
    コメント(0)