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Posted by あしたさぬき.JP at

2008年02月29日

馬地蔵

東谷公民館でほぼ一日過ごす。
朝、映画のプログラムを作成して、公民館では講座の詳しい日程を設定する。

で、運動場の立ち入り禁止の看板を新しくして、市の出前講座に環境プラザの講座の案内を検討する。

5月の交通安全教室は、県警の交通安全教育隊に依頼し、詳しい話を聞く。
講座の詳しい日程と内容が決まれば、とりあえずは楽ができる…はず。

なにせ、どこまで忙しく、どこまで大変か読めていないので怖いなぁ。
自分のできる限りの力は尽くすが、自分のキャパを越えることはできない。

その見極めが大事だろうなぁ。
無理でない程度に、自分の野望も達成しないとね。
人の為も大事やけど、自分の人生も一度きりやもんね。

楽しみながら仕事ができるようにしなきゃね。

今夜は地蔵さまの話。
東谷には道々に地蔵さまが祭られている。
峠を越えなければ東谷には入れないのだが、その四方の峠には必ず地蔵さまが祭られている。
それも、ぼちぼち紹介していきます。

秀一郎宅の屋号は二個ある。
地名である『入道』と本家からきている『遅越新屋』。



その本家の家の下にある地蔵さまの話である。
奥側から寄地橋を渡り旧道を行くと、遅越坊主口に馬地蔵さまはある。
昔上の道から馬が転げ落ちて死んだ、その馬の霊を慰めるために建てられたそうだ。



地蔵さまには『為馬ニ』(馬の為に…であろうと思われる)と刻まれている。

明治の中ごろには、東谷を大水が襲い2~3軒の家が流され、下谷の『そとばか』(石舟の川向こう)で水が越えたと言われている。
その時の大水で、この地蔵さまが流された。
水が引き、これを知った落合の人々が総出で探したが、行方がわからないままとなっていた。

それ以来、そこを早朝・深夜通ると苦しそうな女のうめき声が聞こえ、多くの人を困らせたそうだ。
これはきっと地蔵さまがどこかに埋まって苦しんでいるのだろうと、別に地蔵さまを造り元の位置へおき読経した。
それにより、苦しそうなうめき声は聞こえなくなったとか。

したがって、現在の地蔵さまは二代目なのだ。
  


Posted by 秀一郎 at 22:53Comments(0)昔話

2008年02月29日

絵本を読む



あやめお気に入りの絵本『いもとようこ』さんのあかちゃんのためのえほん。
あやめが生まれてすぐに全巻大人買いした。

秀一郎は『いもとようこ』さんの絵本で育った。
柔らかいタッチの絵が、はんなりしていてほっこりする。

だから妊娠したとわかった時、一番に買おうと思ったモノやった。

毎日、あやめと一緒に絵本を読んで、あやめと楽しむのが秀一郎の幸せの一つ。
最近ではあやめがページをめくる。毎日成長しているあやめ。

あやめがお母さんになった時に、また読んでもらいたいものだ。


気が早いか…。
というより、旦那が嘆くな。今でも「嫁にややらん!」ってよおるし(笑)。
  


Posted by 秀一郎 at 10:57Comments(0)あやめ

2008年02月28日

吉廣城

高松市と香川県のソフバのメンバー登録の名簿を製作する。
100余名在籍しているので、管理も一苦労。

そして、今夜は高齢者支え合いの合同部会。
部員もだんだん増えてきた。
ブロック長さんや民生委員さんに消防団の人・・・。

協力員が多ければ多いほど機動力がアップされるので、うれしいものだ。

既に登録から後に亡くなられた方もいた。
現に東谷でも施設やに入院された方もいる。

常に新しい情報を更新しないと、刻々と登録内容が変化しているのだ。

それを調べるには、自治会や民生委員や数が必要になる。
特に東谷は要支援者の数が多い。
それを他地域と同じ部員ではカバーできない。

よって自治会長さんに手助けをお願いしなければならない。

そこで、愛郷会が役に立つのだ。
東谷の情報発信の会やもんね。

がんばらないとね。

さて、今日は東谷にあったといわれる2つのお城のうち、ちまちゃんちの玉響があるあたりのお城の話を少し。

東谷公民館から村瀬納豆の方へ200メーターほど向かうと、久保田免場となる『吉廣田台(通称:吉廣の田んぼ)』がある。
この田んぼから、平尾八幡入り口の橋までの山裾に『吉廣城』があったと言われている。

『吉廣城』は1140年頃源氏に仕えていた人物で、忠臣とも知られている吉廣兵庫頭の居城である。
その子である兵部は屋島合戦の折には戦功ありと記されている。

また、平尾神社は近衛天皇の天養元年に吉廣兵庫頭の歓請により建てられたと伝えられている。
ちなみに、香川郡史によれば、社家の佐藤氏は吉廣兵庫頭の子孫であると記されている。

山際には城の名残か石垣が残っている。

与州の北山には高さ70センチの宝塔があり『兵庫のお墓さん』と呼ばれている。
その横にある横50センチ程の石祠は、『兵庫の神さん』と呼ばれ御神体は丸石である。
吉廣神とも言われ、少し前までは脇の前下の家がお守りしていたそうだ。

もともとは与州の屋敷内にあった石祠だが、三十数年前に陰の深田さんがお参りしたところ、

『向かいに行く、向かいに行く』

とお墓が言ったとか。
それで、当時の与州の当主が自分の土地である向かいの北山に移してあげたとか。

吉廣田台の所有者の山井谷上の家には、吉廣城の古文書が今も残されているとか。


最初についた仕事が埋文センターの仕事やったので、こんなロマン薫る話が好きだ。
昨日の野望達成のために、日々努力あるのみ。

蟻の一歩も、最終的には地球を一周してるかもね。  


Posted by 秀一郎 at 22:52Comments(2)農村歌舞伎 祇園座

2008年02月27日

茶米石 Ⅱ ~新たなる野望への導入~

昨日、ばあちゃんに聞いたばかりのこの石を、ばあちゃんが見たいというので、白砂へ向かう。



ばあちゃんの実家の田んぼの真ん中に、まさにその石は座っていた。

・・・思うに、魔物に困っていたのはばあちゃんの実家の人のようだ。

昔の道と違い舗装された農道が走り、ばあちゃんの子どものころの記憶とはかなりずれた所にあった。

確かに、この大きな石の影なら隠れられただろう。



ちなみに上にこっそり写っているのが、クルーガー。
大きさの比較になります。



只、完全私有地扱いなので、大きな門をくぐった先にあるということがネックだ。

秀一郎はばあちゃんの実家ということもあり、一報を入れての探検となった。
道は農道なので太くなるまではバックでかえらなあかん。
舗装されてはいるが、竹の根っこなどであちこちでこぼこになっている。

門を付けたのにも訳があり、入り組んだ田んぼに不法投棄が何度かあったそうだ。

で、結果出入りに地主の許可がいるようになるのだ。

この道も昔は『川添温泉』を通り、川内原まで抜けていたそうだ。

今では荒れた農道。
誰も気がつかない石。

謂れのあるものには、個人の土地のものが結構ある。
個人の土地なので整備することは不可能でも、発掘することは可能だ。

謂れや、現在の姿を広く知ってもらうというのも、探す方としては楽しい。


そして、秀一郎にまたもや野望が・・・。

少しずつ東谷を歩いて、昔の話を集めて冊子を作ること。

幸い、秀一郎の真友に絵描きが3名揃っている。
国語科の教師もいる。

これは、かなり早い野望の達成ができる見込み。
話を聞けるお年寄りとは既に仲良しやし、地元の人でも知らない話を既に拾ってきている。

恐るべし、東谷から嫁に来た人。
・・・西植田や東植田にはそんな人がたくさんいる。

少しずつ、時間をかけてゆっくり現地をまわり、人と触れ合いながら歴史と土地を旅する。

・・・地元やけどね。
だからこそ意味があるような。

マップも作りたいなぁ~。
なっち~4コマも描いてね~。
暇な時でいいから。


そして、今夜は『キサラギ』を見ている。
オタ妻としては気になる作品だったのだ。
  


Posted by 秀一郎 at 23:36Comments(5)東谷っ子

2008年02月26日

茶米石

朝は東谷公民館で公民館審議委員会の原稿作り。
午後からは川東公民館で講座の開講についてレクチャーを受ける。

交通安全教室や防災教室についての依頼書などの作成や、予算書の作成について。

今夜はうちくの自治会の常会。

自治会編成やら、自治会長の仕事とブロック長の仕事への協力体制作りなど、いろいろと話してくる。

来月の地神さんのお祭に、うちくの頭屋組があたる。
うどんややのお接待をしなけりゃならん。

これも仕事に行きだしたら無理なこと・・・。
お昼からかかる仕事やからね。

夕方、なっち~ママより伝言が。

パンジーを取りに来いと。
うふふ~。

今年も花一杯!!

なっち~ママさんくすです。

で、現在買い物帰りに借りてきた『スキヤキ ウエスタン ジャンゴ』を見ている。
英語で撮影されているので、字幕で見るのがGOOD。
伊藤英明君が主役らしい。

・・・佐藤浩一が出ているだけで借りてこれる自分が怖い。

若手も多く出てるし、コメディに銃アクション、撮影方法とマニアックに語ろうと思えば尽きない映画だ。
ああ、今流行の小栗旬くんも出てます。
監督は三池孝史。

それだけでも語れるくらい。


さてさて、今日はうちくのばあちゃんの実家の方のお話を一つ。

うちのばあちゃんは東谷の白砂からお嫁に来ている。

白砂は東谷の下でも西植田町との境になり、祇王山の北側にある集落だ。

白砂正田の田んぼの岸に、餅が二つ重なったような大きな石がある。
これを『茶米石』と呼んでいる。

白砂あたりの道で、白毛正田、白川へと至る道を『ナワメスジ』(縄目筋)とか『オジャモノミチ』(魔物道)といい、闇夜に紛れて魔物が通る道といわれていた。
昔は田んぼの準備も、朝早く暗いうちからやっていた。
だから、まだ暗い田んぼに魔物が出て、人間に悪さをすると言われていたのだ。

ある人は、田んぼに行こうとしたら、誰かが前にいて行けなかったとか、壁ができたとか…。

魔物がやってくるのを見た人が、岩に隠れてじっと様子を伺っていた。
が、いつまで待っても魔物が帰らない、早く田んぼに入りたいので、岩の陰から明けの鳥を真似て鳴いたら、魔物が朝と勘違いして去ったとか…。

また、岩の陰に鳥に化けた魔物がいた。
魔物は正体を見破られたら魔力を失くしてしまう。
岩の陰で鳥に化けたところを目撃され、魔力を失った…。

など、いろいろ言い伝えがある。

どちらにしろ、そこに岩があったから助かったと、鳥に感謝して『茶米』(くず米を煎って芋や大根と混ぜて炊いたもの)を供えるようになったそうです。
で、『茶米石』と言われるようになったとか。

田植え前には『茶米』を備えないと、田植えの縄が切れたり、定木が壊れたりしたそうだ。

機械で植える現在では、お供えしているかどうかもわからない。

秀一郎は小学生のころ、昔ながらの田植えを体験するというので、学校の裏の田んぼで毎年もち米を植えていた。
定木をくるくる回し、みんなできゃきゃいいながらどろんこになり…。

稲刈りは各自じたくから鎌を持ってきて、小さな手でいっぱいの稲を掴んでいた。

今も、機械の入らない田んぼはそうしている家もあるだろう。
が少ないやろなぁ。

なにせ、なっち~の家のようにセルシオやクラウンが買えるくらいの農機具があるんやもんな。

一度乗ってみたいものだ。
…運転手付で。
  


Posted by 秀一郎 at 22:57Comments(2)昔話

2008年02月25日

石舟

東谷は奥と下に大きく分けられる。
東谷公民館あたりの落合という集落から奥と下に分けられる。

現に、連合自治会のブロックもここで分けてある。

この下側に秀一郎の住処があり、地元の集会場前に『石舟』という大きな石が下谷公園に座っている。



もともとこの大きな石は、東谷を流れる唯一の川『天満川』の中にあったそうだ。
全部で7個の岩であったらしく、そのうちの2個が舟の形をしていたので『石舟』と呼んでいたそうだ。

かつてこの場所に松尾神社があり、祭神は『大山祗命』であり『石舟』に乗って東谷にやって来られたと伝えられている。
『御神舟』とも言われている。

この『石舟』は、何年か前の道路拡張工事に伴い発破され石積にされる運命にあった。
他の石は次々と発破され、最後に『石舟』の石に発破穴を掘っていた石工が突然腹痛と発熱に苦しみはじめた。

この石を掘った祟りだと、祈祷してそのままの姿で道路わきに置くことになったのだ。

今も発破穴の後が残っている。



年寄りは知っているが、若いしがどこまで知っているかは不明やけどね。

そして、そこに一番近い家の屋号が『石舟』であり、いまでも会話に出てくる。

「昔、石舟のばあちゃんがな、まぜ寿司つくるんがうもぅて(上手で)なぁ~」
と…。

ここのばあちゃんは、ばりばり元気で『祇園座』の衣装方をしていた。
秀一郎たちの着付けもしてくれていた。

結婚する前の年(ほんま半年前やった)に亡くなり、とても残念やった。
せめて、嫁に来るのを知っていたら、どんなに喜んでくれただろうか。



今は閑地を整備して公園となり、道路からもよく見えるので聞かれることも多いが、東谷に根を深く下ろす姿に恥ずかしくないよう秀一郎もがんばってゆきたいと思っている。

  


Posted by 秀一郎 at 22:12Comments(3)昔話

2008年02月24日

天ぷら食堂

祇王クラブin高知から無事に帰り、川東にある天ぷら食堂へ晩御飯を食べに行く。

調理場を取り囲むかたちの店内は満席に近かった。
あやめは豆腐をばくばく食べ、秀一郎たちは海鮮や野菜の天ぷら盛り合わせとご飯に豚汁をたべたら、もうお腹一杯!


家に帰り、高知のひろめ市場で真友三人色違いのスカーフをおそろいで買ったものを旦那に見せる。
そんなに高くはない(いや寧ろ激安)がデザインといい、色のグラデーションといい、三人それぞれに似合う色があった〜ってのも縁だよね。

お昼の懐石も美味やったし、うるめいわしも小夏も買ったし、なによりジブリの森であやめにトトロの枕を買えたので満足だ!

また真友たちと泊まりで騒ぎにこなあかんなぁ〜。
その前に京都が先かな…。
  


Posted by 秀一郎 at 21:11Comments(2)愛 LOVE 家族

2008年02月24日

いもけんぴタワー

ひろめ市場日曜市側入り口のいもけんぴタワー!
食べることが出来ます!
  


Posted by 秀一郎 at 15:38Comments(0)真友

2008年02月24日

高知のランチ

高知の商店街の『日本料理匠』さんのいちばん人気の懐石ランチ。

味は最高!
太鼓判押せます!
  


Posted by 秀一郎 at 13:06Comments(0)真友

2008年02月23日

祇王クラブ

今日は毎年恒例の祇王クラブの高知旅行!

祇王クラブは東谷を中心に野球をやっている(過去やっていた)集まりで、最近は旦那や秀一郎の友達も参加している。

目的は阪神のオープン戦。
虎吉野郎(中年)どもを乗せたバスは一路高知へ向かう。

今回も秀一郎の真友、なっち〜と鈴ちゃんが参加。夕方発で飲んでラーメン食べてカラオケしてが毎年恒例だが、今年はあやめもいるので大人しくしとくつもり。

あくまでつもりな、不良主婦。

とりあえず、トンネル通過中な虎吉一行であった!
  


Posted by 秀一郎 at 17:59Comments(2)東谷っ子

2008年02月23日

二重太鼓

今日はマリーとユミに二重太鼓特訓!

大分一人で着れるようになりました。
名古屋帯にもチャレンジ!
そして帯と帯揚げ帯締めを貸して、自己練習とする。
そして、今から高知へ旅立つ私♪
  


Posted by 秀一郎 at 14:20Comments(2)着物

2008年02月22日

祇王山

秀一郎の家の向かいにそびえる祇王山。

香川町内最高峰の275メーターあり、天気がよければ小豆島から瀬戸大橋も望むことができる。

地元では、農村歌舞伎の祇園座があるので通称祇園山『ぎおんさん』と呼ばれている。
が〜ほんまは、山を朝夕拝みながら地元で活動していた地芝居を祇王山にちなんで『祇園座』と名付けたので、ぎおんさんが後なのだ。

祇王山は、その昔平清盛に可愛がられていた祇王・祇女の姉妹があとから入った仏妓女官と折り合いが悪くなり、嵯峨にて仏門に入ったそうだ。
このことを知った仏妓も自分の非を悟り尼になったという。

このいきさつを知った清盛は二人の姉妹を連れ戻そうとし、それを嫌がった二人は難を逃れて讃岐に身を隠したと言われている。
清盛は讃岐を経由して厳島神社に参詣しており、この姉妹もお供していたそうだ。そのお陰で讃岐とは多少縁があったようだ。

また、浅野にある平池は清盛の命により築造されたと言われている。

故に、讃岐に姉妹が逃れてきて、山添いの東谷に身を隠したと言われている。
現在、祇王山の麓にある専光寺には二人の念持仏と伝えられる石仏が本堂に安置されている。

そんな祇王山の整備事業が来月予定されている。

昨年より川東コミュニティより多数の応援もあり、山からの眺めはかなり改善されている。

作業の後に眺める市内は、これまた最高なのだ。あやめがお腹の中にいた去年、お茶運びで参加した秀一郎は、竹の管理についてお勉強しようと思いつつ、はや一年きちまった。

来年度こそお勉強の年だ!!
  


Posted by 秀一郎 at 22:57Comments(0)昔話

2008年02月20日

ダウン

ついに、風邪気味やったばあちゃんの風邪をもらってしまった。
いまから実家へ行き、あやめをみてもらうことに。

久々にお泊りである。

あやめに風邪をうつしてはいけない。
やばいやばい。

公民館の図書室で長々と本を読みすぎた。

風邪にご注意!  
タグ :懺悔


Posted by 秀一郎 at 18:38Comments(0)愛 LOVE 家族

2008年02月19日

人間国宝と三原則

免許の書き換えをようやく行くことが出来る。

5年間変わらない写真のため、大島の紬を着てゆく。
実はパスポートは夏に撮ったので、紺の絽の着物になっている。

30分の講習のあと、週一の買い物をして昨日より風邪気味のばあちゃんの様子を伺う。

微熱があり喉が痛いそうだ。

実は秀一郎も喉が痛くなりだしている。
やばい。

羽田登喜男さんが亡くなられた。
京友禅と加賀友禅の融合に貢献して、人間国宝になった方だ。

羽田さんの作品で一番好きなのはやっぱり鴛鴦の柄だ。

京都の展示会で三代にわたって作品を見せていただきました。
息子さんと孫娘さんも友禅作家です。

昔、そこまで有名ではなかったころ、羽田さんの着物はまだ何百万かでした。
そのころ買っているお客さんはラッキーですよ。
いまではうん千万。

とても手が出ません。
でも眺めているだけではんなりとする作風は、絵を少々かじった秀一郎にとって見飽きない作品です。

羽田さんの作品をみて友禅に興味を持ち、京都の工房で真友たちと友禅の絵付けにチャレンジしましたよ~。



また、世の中から偉大な作家がいなくなってしまった。

秀一郎のすきな結城紬のおばあちゃんにも長生きしてもらわんといかんなぁ。
このばあちゃんも人間国宝で天覧織り(昭和天皇陛下の前で機を織ったそうです)もしていて、面白い人なのだ。
蚕から糸を紡ぎ、織るまですべての工程をこなしている。
だから一本の反物が出来るのにおそろしく時間がかかる。
これもうん千万クラス。

あやめをあわせるまでは元気でいてもらいたい。


今夜はコミュニティの役員会。と同時にブロック長会。

コミセン関係から自治会のことまで幅広く説明がある。
主にコミセンと児童館のセンター化についてやけどね。

うちのセンター長のがんこいってつさんが、この22日にある市民ホーラムでパネラーになる。
というのも、この13日に新聞に載った『自治基本条例』の制定に向けての市民委員会のメンバーなのだ。

センター化で諸事忙しいというのに、ますますいそがしいがんこいってつさん。
手足ほど有能ではないが、自分なりにがんばって処理できるとこは処理していきます。
でも不安・・・。

で、うちの事務局長より最後に『社会で一般的に言われている 基本的な義務・役割の三点セット』なるものと『幸せな人生をおくるために大事なこと』について説明がある。

特に我家が名指しで説明された、『子どもの教育・人格形成・育児原理』について。

教育の役割分担・・・家庭=躾 学校=知識 社会=知恵

人格形成・・・遺伝子(DNA) 三歳までの人間機能作り その後の社会影響

育児原理(依存と独立の兼ね合い)・・・乳幼児は過保護干渉 子児期に遊びながら考えさせる 思春期に放任。そして自己責任を学ばせる

など・・・。また幸せ~の方では、

生きがい・・・仕事(地域・社会に役立つ)趣味(自分の時間) 友人(心許せる仲間)

安定した社会生活・・・生活(収入) 落ち着く(家庭) 地域社会(交流)

地域でトラブルなく過ごすのに住民の最低限果たすべき役割・心得・・・最低限の金銭(会費など)のおつきあい  プライベートに踏み込まない  地域の決まりごとは責任をもってこなす


など、ほんの一握りやけど抜粋です。


子育てについては、すでに親の手をはなれ地域で育ててもらっている感じ。
あやめにはようけ『じいちゃん』や『ばあちゃん』がおるけんなぁ。

東谷の宝や言われよるうちが華やな。

さて、今夜は鈴ちゃんちの柚子の汁とグラニュー糖とでホット柚子して寝るぞ!! 

  


Posted by 秀一郎 at 23:47Comments(0)川東コミュニティ

2008年02月18日

牡蠣たらふく

午前中は東谷公民館にて、連合自治会の会計と事務の引継ぎ。
明日の夜にあるブロック長会に渡す、ブロック長手当ての封筒入れや、3月中旬よりしなければならない自治会長の手当てについて香川支所のS氏よりおそわる。

2~3月は決算の時期なので、ようけ会計や事務局を持つ秀一郎は足りないおつむをフル回転で回している。
市のソフバの会計も大方かたして、後はそれぞれの総会資料にとりかからないといかん。

同時に、コミセンの準備も着々と進めて、事務所の整理に老人会の総会の準備など日々追われている。
が、全部ボランティアなんだな。

まぁ、これも東谷での生活を良くするためだ。
がんばろう。
来春はなっち~もいることだし・・・。

秀一郎にとって真友は戦友なのだ。
受験戦争という荒波において、20年間互いを励ましあい、ここまできたという意味の。
もちろん恋愛に関しても、相談したりされたりと、互いに飾らないそのままの自分で皆が接してくれる。

ワルキューレには及ばないが、それに等しい戦闘能力がある。
この場合、皆専門職を持っているのでそれぞれに対応できる。

それが、誰も被っていないのがすばらしいところ。
だからこそ、それぞれに専門の質問をぶつけられる。

で、現在は東谷の活性化に役立ってもらっているのだ。

その、一番の功労者たちと今夜は毎年恒例になった、牡蠣の食べ放題に行く。
今回はなっち~の旦那も同行だ。

鈴ちゃんちの柚子でたらふく牡蠣を頂く。

おばちゃんのサービスか、例年より牡蠣のバケツが1杯多かった。
なにせ、秀一郎単独では10年少々通っているからなぁ~。

いつもホタテが付いていたが、今回はサザエ。



鯵のでかいのがついて牡蠣ご飯にお吸い物。
これで3,000円。

飲み物持込OK。

気さくな未亡人のおばちゃんが、椅子を横に持ってきて相手してくれる。
・・・それは、客が一番少ない月曜を選ぶ秀一郎のテクニック。

今夜はそれでも一組、庵治の会社の役員さんが来てました。
もう、おばちゃんの取り合い。



バケツが一杯になるほど頂き、おなかもほっこり、こころもほっこりあやめはおびっこたっぷり食べて帰りました。

なっち~の旦那がうちくの旦那のノリについていくのがしんどなかったか心配・・・。

・・・いや、むしろうちらのテンションにか?
  


Posted by 秀一郎 at 23:38Comments(1)真友

2008年02月17日

新!ゴミの分別

午前中、東谷公民館にて合併後のこの4月より適用になる、高松市と同じゴミの分別について説明を受ける。
今までと違った分別と収集日になるので、細かい周知がある。



燃えるゴミは週1回だったのが2回になるのが少しうれしい。
資源ごみやって月2回になったりと、基本収集日は増えた。

分別は秀一郎にとって嫁に来る前の分別に戻っただけのこと。

ゴミ箱を常に分別して置いておけば、面倒くさくないし。
現に実家では、捨てる個々で分別ゴミ箱に入れている。

2時間程度で終了。
普段会わない人にも会えたし。

40名ほど集まり、熱気むんむんの2Fであった。

お昼は畑で採れたてのキャベツでうどん焼きする。

お昼からは祇園座の会計報告。
秀一郎はあやめにご飯を食べさせていたので、時間に間に合わない!と思い、旦那だけ下谷の集会場へ行ってもらう。

で、家の周りに植えている、鈴ちゃんちの枝垂れ桜の苗の剪定をする。
家の周りに4本あり元気に育っている。
高さが2メーター程になり、段々形も良くなってきた。

桜は切っちゃいかん・・・と思うかもしれん。
が、枝垂れは特にこんまい枝をおとさな枝の重みで『こんにちは』してしまう。
特に、うちくのは種から興した『結婚記念樹』。

結婚した年に実をつけたものから苗を立てたのだ。

そうしたら年数が読みやすいからね。

江戸彼岸の枝垂れなので、上手くいけば何百年と生きる木なのだ。
秀一郎たちが死んで消えても、あやめが死んで消えても、木は残る。


一年で一番忙しい時期を、訳がわからないまま過ごしている。

気がついたら、今週は一ヶ月の中で一番忙しい週だ。

コミュニティの役員会に愛郷会に高齢者教室。
センター長会に高松SNSの防災モニターの説明会。

まずは、明日の連合自治会の事務。
ブロック長手当てを仕分して、火曜のブロック長会に間にあわせないといけない。
夜は毎年恒例の牡蠣の食べ放題へ、真友とその彼氏と行く予定。

今夜は久々に、ゆっくり旦那のワイシャツにアイロンをかけれた。
  


Posted by 秀一郎 at 22:33Comments(2)東谷っ子

2008年02月16日

雛寿司作り

朝、9時より旦那はあやめを連れて、川東公民館へコミュニティ協議会の作業に。
秀一郎は東谷の公民館で料理教室。

今回は『雛寿司』。

講師の先生は善通寺よりお越しの、北岡純子先生とそのご主人。
1,500円の材料で、ひし形の春らしいヘルシー寿司とハマグリのお吸い物。サラダにケーキの飾りつけをする。



東谷の昔お嬢さん25名により、わいわいがやがや作業に取り掛かる。

その作業の横で、高知出身のご主人が握り寿司を握ってくれた。



というのも、先生のご好意で折角作ったお寿司は持って帰った方がいいと、お昼は握りを食べましょうということになったのだ。

お寿司自体も、鮭の甘塩を焼いて骨と皮を取り身を解す。
菜花を湯がいて水をしっかりきり、ゆで卵を作り黄身と白身に分けて、裏ごしとみじん切りに。

ひし形の大きな箱にラップをして、寿司酢と鮭をまぜたご飯を入れてトレイにひっくり返す。
その上に黄身と白身と菜花を飾りつける。



これだけ。
具もたくさんいらないし、金糸卵みたいに脂っこくもない。
上にはいくらを散らしても豪華になってお客様向きだとか・・・。

その合間に、先生のこれまたご好意でスポンジ台とデコレーション用の材料で、雛ケーキを作る。

お寿司も子どもと一緒につくると喜ぶとか・・・そんなアドバイスを聞いてきました。

「春にもなにかしてくれるか」と聞いたら、「いいですよ」と!

なにせ、運転が出来ないのでご主人の都合がわかり次第ということで、今回は終了。

皆で食べるから美味しいのだよね。
なんて婦人会長と話しながら、家に帰り家族でいただきました。

ちょっと早いお雛様を皆で楽しむ事ができました。

  


Posted by 秀一郎 at 22:51Comments(0)東谷っ子

2008年02月15日

コミセン時々映画。山沿いは世相

東谷でお昼まで仕事して、お昼から東植田のコミセンで情報収集する。
新しい様式で来年度の計画提出するのだが、どこまで様式をいらってもいいものか・・・とかちょっとしたことや、講座に関することの千恵なんかを主任のおねえさまに授けてもらう。

やっぱ、地元は会話しやすいわ。

んで、途中で東植田の連合自治会長のK氏がやってきた。
一言、
『あんたどこのこ?』

って。『東谷のコミセンに勤めるんです。実家は東植田ですよ』と説明してくれたのだが、
『あんたはしっとる。抱いとる子がや』

と・・・。
『いや、うちの子ですが・・・』

どう、つっこみゃあいいのだ。
暫らく沈黙して、女2人で顔を見合わせてしまった。



そのうちの子は、やっとはいはいできるようになりました!!
伝い歩きが先に出来たので、足運びがなかなか下手ではあるが。
ますます目が離せない。

今夜は映画の日。
『僕は君のためにこそ死にに行く』

特攻ですよ。ほろりとくる。
若い人が俳優やけど、特攻ものは時代が変わっても辛いなぁ。

主題歌がまた『B'z』なんですわ。

永遠のぉ~翼になって~♪ときたら、特攻隊の写真とダブル効果でうるるしてしまう。

いやぁ~映画っていいですね。

で、21時過ぎに帰り、アカデミー賞を見ている。
去年もいい映画がたくさんあったなぁ~。


最近、不思議に思うこと。
今話題になっている米兵が沖縄の中学生を襲った…という話。

県民あげて沖縄の人たちは米兵に対して物申しているが、それもわかる。
が、そもそも夜の繁華街に中学生が野放しなことについて、黙認の県民なのだろうか?

秀一郎の家はわりかし厳しく、門限は22歳まで18時半やった。

もちろん同窓会もいけん状態。

これはこれで厳しいと思ったが、まだ中学生やで!
そんなんが夜出歩くことを、大人たちが当然のように認めているのが信じられん。

塾帰りやとかいうのならわかるが、遊んでいて友人と別れてってどうよ。
その上誘いにちょっとでも乗ったんなら、自己責任はあると思う。
そんな親の教育方針を聞いてみたいわ。

ああ、そりゃ当然米兵がしたことは許されることではない。
制裁をうけて当然やと思う。

でも、こんなことが未然に防げなかったのか?と思うとき、本人や家族のあり方を考えるわけさ。

ミニスカートもしかりファッションを大事にするあまり、恥も捨てたような世の中になっている。
女の私でさえ恥ずかしい、中身の見えるよなスカートはいといて、見えたら男には痴漢という。

あんたらが痴女になるで~と言いたい。
そして同時に、誘っているととられても仕方がない。

これじゃ、いくら勉強ができても本人が傷ついてしまう。

個性を重視するとかいうお奇麗事は関係ない。
なら別に着物で学校いったっていいわけだよね。
でも、そんな子はいない。不思議だね~。

校則とかは、大人になってもあるルールを『守ると』いうことの初期練習じゃないのかな。

校則も守れない人が社会に出て、社会のルールを守れるのか?とも思う。
そこから道に外れた人が生まれてくるのでは?

…これは極端な例やけどね。
でも、その路線にはのっかってしまっているだろう。

また、犯罪する方を減らすためには、被害者にならないための指導も必要だろう。

かわいい子供たちが安心して暮らせる世の中にしたいよね。
  


Posted by 秀一郎 at 23:09Comments(2)川東コミュニティ

2008年02月14日

継続される命

朝7時半に事務局長の車に乗って、がんこいってつさんと児童館の館長さんになる方と市役所へ。
お昼まで、コミセンの経理関係のお話を聞く。

質問したり意見を言ったりと、有意義な半日を過ごす。

こんなんで宴会部長さんにお世話になりました。
ぶしつけな事も言ったりと、これからも疑問に思ったことは聞いちゃいますので、失礼するかもしれませんが宜しくお願いします。です。

さて、たくさん頭に詰め込みすぎてパンク寸前でお昼を市役所の食堂で頂きました。

今日は野菜が多目のB定食。

ご飯は残すともったいないので半分にしてもらう。

そいで、旦那とあやめのお迎えでがんこいってつさんたちと別れる。

そこからチョコを買い、実家の弟たちの分を置いて帰ってくる。

家を出てふと納屋の上を見ると、梨の木に若木が・・・。

この梨の木は、秀一郎のじいちゃんが生まれた時に植えられた木だ。
背も高く、左右に伸びた枝には毎年花が付き、実も成っていた。
じいちゃんが生きていれば102歳。
・・・けっこうな年寄りだった。

秀一郎が結婚する前の年。
台風でこの木が折れて、秀一郎の生活スペースの納屋の屋根を破った。
深夜に『がった~ん!!』の音の後、『じゃばじゃば』と水音が・・・。もち、壁が水で濡れてわや。
廊下沿いの本棚から本を救出して、懐中電灯で確認する。

取り合えず、部屋が16畳あったので、廊下側だけが湿るだけやったので、そのまま寝た。

これが原因で、残りの枝もバランスを崩す可能性があると、株から切った。
これは秀一郎一家にとって断腸の思いだった。

慰めなのは、池の端にじいちゃんの柿の木がまだあるということだった。
これも、梨の木と同じ年だ。

その切り株から、若木が育っているのだ。
古い命から、新しい命へのリレーだ!

はんまにうれしっくって、思わず山に登り写真を撮る。



このあたらしい命に、花が付き実がなるのを考えただけでもわくわくする。

自然に継続されて行く命に、改めて人間のちっぽさを感じた。

今年、花が咲くことを祈って・・・。

  


Posted by 秀一郎 at 22:55Comments(2)山ならではの・・・

2008年02月13日

札束のメジロ

朝の報道で、うちの枇杷の花に集っているメジロの取引金額をきいてびっくり。

もちろん違法な取引なのだが、良い声で良い鳴き方をするものは300万ですって!
良くないにしろ、20数羽いたということは・・・。
みな札束が枇杷に集っていたのね。

いかんいかん、邪な目で見ては鳥も逃げちまう。
それにしても、メジロってすごいんやなぁ。と関心。

そして、雪の舞う午前中。
東谷にてマリーとユミに着付け講習第2弾。

前回に順番やここが駄目とかかなり解ってきていたので、今回はその練習。
なにせお太鼓を背中にしょう時と、帯揚げをする時が難関で、後ろに手が回らない。

マリーに帯などをを貸してあげる約束なので、正味その帯と帯揚げ帯締めで練習する。
何回かやると慣れで手が回るようになるのだが・・・。

今日の最終はかなりいけるようになっていた。
ユミは途中から浴衣の帯結びについて練習する。
浴衣の帯は簡単やから、基本さえおさえていれば自分で研究してかわいく結ぶことが出来る。

何にせよ、継続は力なり~の通り、続けて練習すると上達するのだ。

そして、ユミの差し入れのシュークリイムを頂いて、お昼は旦那とおちあい川東の庭師に~た夫婦とランチを取る。
雪は積もることは無いがよく降った。

んで、寒い。
明日も寒いだろうが、市役所でコミセンの引継ぎに関するお話を聞きにいかないといけない。

背中がゾクゾクしているが、雪達磨のようになっている秀一郎。
そろそろあやめのお風呂の時間だ。

あやめを洗濯物の籠に入れたら大喜び。
それで持ち運びしたら、もっと大はしゃぎ。
子どもって単純なのが好きなのね。



どこまで籠がもつのやら・・・。  


Posted by 秀一郎 at 22:38Comments(0)山ならではの・・・